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ニート・ひきこもり・不登校串刺し対談「ひきこもらずに生きていけるか!」 [行ってきました(♪あんだんて♪レポート)]

大阪でフリースクールを開いている「フォロ」に、昨秋、若者たちの居場所 生きた学び場「コムニスタ フォロ」ができた。若者の居場所というと、ニート、ひきこもりの若者を対象としたところがほとんどだが、コムニスタ フォロはそこに限定しない「誰にとっても必要な場」と位置づけ、今までの価値観から出てこもれる「でこもれる場」にしたいという。具体的には毎週土曜日にサロンを開き、講座やプロジェクトを企画している。
 世間では不登校になると、ひきこもり、ニートになるのではないかと、不安が串刺し状態になっているが、今回は「ひきこもらずに生きていけるか!」というタイトルが表しているように、ひきこもることを肯定的にとらえて串刺しするという視点で、評論家の芹沢俊介さん、精神科医の高岡健さんをゲストに企画された。お二人の話はそれぞれに聞いたことがあり、共感するところも多かったので、対談となればぜひとも聞きたいと思い参加した。結構広い会場がすし詰め状態、熱気にもあふれ、参加者の関心の深さを感じた。

最初のテーマは「不登校をどうとらえるか」。
芹沢さん
子ども時代、運動会や式典など「集団が儀式性を持つとつらくなった」、また息子さんが五月雨登校、高校中退を経験している。そして集団の病であり、いつ始まっていつ終わるかわからない(反復・継続性)のある「いじめ」の、解決策ではないが一つの手段が不登校である。
高岡さん
いじめの起こりやすい条件のそろった学校で、不登校はいじめの最悪の結果(自殺)を防ぐための緊急避難であり、不登校になる権利を普段から認めておくことが大切だ。学校に行くことをやめた方が、たくさんの選択肢があるなどプラスになることが多い。不登校からうつ病、統合失調症になることはなく、むしろいろんな病気を防ぐことができる。不登校の意義を認めないと健康を害する。(詳しくは♪あんだんて♪レポート06年11月11日をご覧ください)

「ひきこもり」について。
芹沢さん
「ひきこもり」は固定的なイメージがあるが、常に変化をはらんでいるという流動性をベースに考えた方がいい。何から撤退しているかはとても個別的であるが、ひきこもりは『往路』『潜在期』『往路』の3段階に分けられ、それぞれの時期に課題があり、支援の仕方がある。『往路』は「する自己(社会論的自己)」の喪失が「ある自己(存在論的自己)」を脅かすため自己防衛・防御の時期であり、この時期は速やかに通り過ぎる方がいいが支援の仕方は難しい。『潜在期』は存在論的自己の修復期で、ジグザグの繰り返しの中で「底つき感」を感じ安定する。力を抜いて「底つき感」を感じることで、浮上していく。この時期はハラハラしながら見守り、食べることで支える。「帰路」は社会論的自己を再建する時期で、初めて引き出すことも含めた支援ができる。しかし「善意の道は地獄に通じる」という考え方が大前提。本人が「背筋の通った状態」であるかどうか見極め、手をさしのべたり、背中を押すという支援が有効。
高岡さん
ひきこもりは力学的エネルギーの法則から言えば、位置エネルギーが「最大」で、運動エネルギーが「0」の状態。誰にも必ず必要で、ひきこもることがうつ病などの抑止力になっている側面もある。身近にひきこもりの人がいる時、何もしないのが大原則。無理に動かす必要があるという根拠はどこにもない。対人関係の援助をするなら、年齢(精神的年齢)差があり、本人より前に出て、引っ張ろうとしない人がいい。訪問に大切なことは、本人が拒否する権利を認め、それを感知すること。親は自分のためになることをする。不登校をしながら、他者からも自分からも「意義がある」と認められないと、その延長としてひきこもる。

「ニート」について。
芹沢さん
イギリスから入ってきたが、ひきこもっている若者の問題とリンクさせたことで変質している。働く意欲があるかないかの問題になっている。
高岡さん
ニート問題は雇用・労働政策の問題であり、個人の問題として非難してはならない。政府のニート対策は失敗することしかしない。ニートが全員働き出すと困るからだ。そのため何パーセントかは成功させて、他の人は個人の問題にすり替える。福祉の問題として、お金を使うべきだ。
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芹沢さんと高岡さんはともに名古屋で起こったアイメンタルスクールの死亡事件を追求され、シンポジウムなどにも参加されている。そして「不登校」「ひきこもり」「ニート」を個人の問題ではなく、学校や社会の問題としてとらえ、まず「ひきこもり」「不登校」を認め、本人を主体とした支援をすることの必要性をいつも主張されている。会場からは不安を抱える保護者や支援者を目指す方々から多くも質問が出たが、「ひきこもり」を無条件にしていい場所が必要なこと、支援を求める時も支援団体を見極める目を持つことなど、とても大切なことを話されていた。しかし行政などの打ち出している支援は、それに沿っているとは言い難く、当事者やその周辺の人たちはとまどい、不安感を募らせていることが多い。今日のような話を、支援を目指す人たちに、もっと聞いてもらえたらと思った。(さくら)


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