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登校拒否・不登校を考える京都連絡会主催 京都の「つどい」 [行ってきました(♪あんだんて♪レポート)]

書籍を販売させていただくために、少し早い目に会場に到着したが、すでに世話人の方々がたくさん集まっておられミーティングが始まっていた。懐かしい顔ぶればかりで、私が娘の不登校で悩み始めた7年以上も前から世話人として活動されている方々ばかりである。私は、この方々と出会ったことで救われ支えられてきたんだと改めて感じた。寒い日であったが、皆さんの熱気と温かい気持ちで、心がホカホカとしてきた。
高垣先生とも久しぶりにお会いした。先生には、私がもっともしんどかった時期に1年ほどグループカウンセリングでお世話になった。講演前にご挨拶できる時間があったので、娘の近況をお話すると「よお頑張ってきたなあ・・」と肩をぽんぽんと叩いてくださった。とても嬉しくて、またその当時の気持ちが思い出されてきて、胸がいっぱいになった。でもね、先生。先生の講演が終わってから、改めて考えてみると、私は先生やここの世話人の方々から、「頑張らんでいいよ」ってメッセージをず~~っともらってきたような気がするし、そのことを学んだ7年間だったような気がします。
講演は、凛とした空気の漂う礼拝堂の中でパイプオルガンの音色から始まった。もうそれだけで、心の中が洗われるような気がして、涙が出そうだった。心がすっ~と穏やかになって、慰められるような。私は特に宗教心のある人間ではないのだけれど、不思議な感覚だった。先生も、「こんな気持ちで講演を始めるのは初めてです。」とおしゃって涙ぐんでおられた。先生は演奏の途中で亡くなられたお母様のことが思い出されたそうだ。今ある自分は決して一人ではなく、いろんな人の愛の中で育まれ、支えられてきたんだということ。そして、かけがえのないただ一つの存在だということ。だから、どの子もそのままの姿で愛おしいし、いいんだよって。いいとこ探しの自己肯定感ではなくて、弱いところもだめなところも、すべてひっくるめて、そんなハンディを背負いながら一生懸命生きているそんな子どもが(自分が)愛おしい、尊い。それが先生の言う自己肯定感なんだ。(ラスカル)

18日の「つどい」は、私にとって初めて大きなイベント参加でした。パイプオルガンの胸に沁み入るような音に 心癒され、つづいて初めてお聞きする高垣先生の講演もわかり易く、楽しかったです。でも、記念に買った先生の本を家で読んでみると、自分がいかに不勉強だったかを思い知り、後悔の念がふつふつと湧いてくるのです。いろいろな失敗が次々に思い出され、胸がチクチクいたみました。(先生の本は、今後のためにとても役立ちます。)
午後からの交流会は、子供の年齢と近いと思い、気楽な気持ちで「青年期」の部屋へ参加、どんな支援が必要なのかを考えることができました。(オパール)

登校拒否・不登校を考える京都連絡会主催の「つどい」に参加した。連絡会には♪あんだんて♪も一応メンバーとして参加しているのだが、会合にはほとんど参加できず、メーリングリストで送られてくるメールで活動状況がかろうじてわかる状態。しかし、ここに参加している親の会で支えられてきたスタッフも多く、せめてイベントには参加させていただこうと思っている。今日は本を売るという目的もあったが、それよりもそれぞれの地域で活躍されている方々にお会いできるのも大きな楽しみだ。会場に足を踏み入れた途端、出会った懐かしい顔に気持ちが和むのを感じだ。
そしてもう一つ楽しみにしていたのが、立命館大学の高垣忠一郎先生の講演だ。先生のお話は息子が学校に行けなくなってまだ間もない頃から何度も聞かせていただいて、そのたびに自分の気持ちが落ちついて、とても温かくなった。ここ数年はなかなかタイミングが合わなくて本当に久しぶりに聞かせていただく。
高垣先生のお話は、自身で準備された「自己肯定感って、なに?」というプリントを朗読するところから始まった。関西弁で綴られたその文章は、「弱点」や「ダメなところ」を「借金」という言葉でたとえ、その「借金」を引き受けて、一生懸命に頑張って生きて「借金があるおかげで、今の自分がある」と言える自分になっていく、それが本当の「自己肯定感」ではないかということが語られていた。先生がインターネットで検索されたところ「自己肯定感」ということばに1420万件もヒットしたとか。その中には先生のいうところの「自己肯定感」とはまったく違う言葉として歪曲され、一人歩きしているものも多いようだ。A3の紙3枚にも及ぶその先生の朗読を聞きながら、忘れかけていた子どもとの関わりの原点を思い出すような気持ちになり、学校に行けなくなった子どもたちが健気に歩んでいるその姿を、とても愛おしく感じた。
午後からの分科会は一番参加者が少なかった「教師との関わり」に参加。世話人もされている先生2人と、市民の立場でどう学校と関わりお手伝いができるのかを模索されている方と本音の話し合いができた。教師と親はとかくすれば対立関係になってしまう。が、子どもを真ん中において、何が必要で何が大切なのかを話し合うことができれば、まだまだ何とかなるのではないかと思う。ただ、それだけの余裕がお互いにないこともまた事実だ。それで犠牲になるのは子どもなんだけれど・・・・。
京都では来年「全国のつどい」が開かれることになっていて、京都連絡会の世話人さんたちは少しでもいい会にできるようにと奔走されている。1000人規模のイベントとあり、会場探しも大変だ。だが親と教師、そして一般の方々をも巻き込んで子どもたちのことを考えるこの会が開かれる意義は大きい。日程は来年の8月9日、10日。皆さんも今から予定を開けて、ぜひ参加してくださいね。(さくら)



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